ツインソウル統合に関する断片的な情報です

記事をまとめる必要があるのですが、時間がとれないのです。

しかし昨日の記事にも書いた通り「覚醒=ツインソウルの統合」という発見でいささか興奮状態にあります。

よってひたすら情報を書きます。

私は今この本を読んでいる途中です。

無我の体験(覚醒ブックス)

外国のキリスト教徒の覚醒体験者が記した書で、おそらく覚醒体験を最も克明に記録した書です。

この著者はどうやら日月神示で述べている「神人合一」を成し遂げているようです。

実はキリスト教の最終目標も神人合一なのだそうで、この著者は覚醒体験からの神人合一を論理的に解説しています。

その解説が、日月神示の記述と合致しているのです。

下記ブログ様より抜粋します。

一厘の仕組  マコトの神かかり


神かゝってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。

そこらに御座る神憑は五段目六段目の神憑ぞ。

神カカリとは惟神(かむながら)の事ぞ、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿ぞ。

惟神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、

これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、

早う神カゝリになる様掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。

一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、

(ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第21帖)

いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。

鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。

(ひふみ神示 補巻 月光の巻 第49帖)

人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。ろくなことないのぢゃ。

かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか。

(ひふみ神示 第二十五巻 白銀の巻 第6帖)

人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。 

(ひふみ神示 第二十五巻 白銀の巻 第49帖)

———————————————————————-

この日月神示の記述、これがそのままなのです。

「無我の体験」の著者は覚醒体験で非二元を会得し、そこで神を知覚するに至るのですが、それは

人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。

であり

神人合一とは

鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。

と発見するのです。

ここまではよろしいですか。

さて、ツインソウルです。

以前も紹介させていただいた以下のサイト様。

ツインソウル

ここに全てが書いてあると理解できました。

このサイト様は至宝です。

以下抜粋。

———————————————————————-

その後、私達は急に不安になりました。私達は二人でいるのに「ひとり」の感覚になってしまい、普通の「恋愛感情」も「執着」も感じなくなってしまったのです。相手は自分自身でした。それは絶対的な安心で、まったくの「無」の感覚でした。すなわち永遠に変わらないものでした。

(中略)

その後、私達はまた現実の生活に戻り、意識の転換を余儀なくされました。現実生活をこなすには、あの時の意識レベルではやっていけないとわかったからです。けれど、たまにまた「ひとり」の感覚に戻ることがあります。

———————————————————————-

「無我の体験」を読んで改めて分かったのですが、これは局所的な覚醒体験です。

自分と相手の間に隔たりはなく、どちらも私でありながら、私はおらず、相手もおらず、共有された意識のみがある。そしてこの「無」とは、これは神です。どうも神は「無」として知覚されるらしいのです。

これを分かってから改めて思うのは、男女の性という二元の統合には、今話題としている覚醒体験とは若干異なる特殊な条件を必要とします。

それは以下のどちらかと推測されます。

・性別の異なる二人の人間が必要

・性同一性障害の人間が必要

今日はこれまでとします。

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