臨死体験と魂の記憶

記事のネタが思いつかずYoutubeをウロウロしていたら良いものを見つけました。

www.youtube.com

ご存知の方も多いと思いますが一応説明を。

木内鶴彦さんは高名な天文家にして臨死体験者です。

この方の臨死体験は、医学的に死亡が認められてから蘇生したという非常に稀なケースで、しかも臨死体験中に過去や未来の地球をみてきたというスケールの大きい経験をなされています。

興味のある方は「木内鶴彦」でググってみてください。
検索結果を上から読むだけで相当面白いですよ。

で、この木内さんの臨死体験に「他人の肉体に入る」「過去の自分に危機を警告する」というものがあるのですが、このエピソードを聞いて改めて思い出したことがあります。

それは私が物心つく前の、自意識が初めて目覚めたときの記憶です。

自宅の近所で転倒し用水路を塞ぐ金網に顔面をぶつけて大泣き、一緒に遊んでいた兄に引っ張られて自宅に戻ってきて、寝かされていた時の記憶。

この瞬間、幼い私はなぜか自分というものをはっきりと認識し「自分は未来から来た」「過去に戻ってきている」という漠然とした意識を抱きました。

そしてこのとき自宅に遊びに来ていた叔母を見て「ああ、叔母が生きている」と思いました。

後に叔母は事故により若くして亡くなってしまうのですが、この時点でそれを知っているかのような、なんとも微妙な気持ちになった事を覚えています。

今になって思うと、それは物心つく前の子供にしては不自然な感傷であったと気付くのです。

この記憶に関しては以上で、特にオチも何も無いです。

ですが私の人生ではこの他にも漠然とした奇妙な、記憶というか感覚というか、そういったものが心に浮かぶことが度々あります。

そういったものを改めて思い返してみると、この記憶や感覚は当たっていたなと気付くのです。

精神状態が落ち着いた今だから言えるのですが、その感覚の中には「自分は今生で終わりだから親しい人とはお別れをする」というものもあります。

このような感覚こそが、肉体に記憶されていない魂由来の情報「魂の記憶」なのかもしれません。

もしかしたら私も、死後に幼少時の自分に憑依して、用水路の金網に顔面を強打するのかもしれません。

理由は分からないけれども漠然とした感覚を覚えることが、皆さんの人生にもあるのではないでしょうか。

その感覚が現実的にどのような意味を持っているのか、思いを巡らせてみるのも面白いかもしれませんよ。

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