火水伝文を読み始めた感想です

今日も続・日月神示の記事を書こうかなーと思ったのですが、関連書である火水伝文をきちんと読んでおくのが先だなと思いました。

という訳で今日は火水伝文の話題です。

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火水伝文とは

火水伝文は1991年という近代におろされた御筆先(神道系の予言)です。

おろされた経緯がとてもユニークで、ある日突然、我空徳生という方の眼前に文字が浮かび上がったのだそうです。

この文字を書き取れ、というお告げがあったそうなのですが、我空さんはこれを拒否。

すると文字が眼前から消えなくなり仕事にならないので、我空さんは仕方なく文字を書き取り始めました。

このようにして完成したのが火水伝文です。

完成後は手配りのチラシで宣伝を行い、希望者にのみ自費出版本を販売しました。

書店に流通しない希少な本として有名ですが、それゆえにインターネットが一般化した当初から、内容を全文掲載したサイトがいくつか出現しておりました。

また我空さんも、火水伝文の販売をしばらく停止しておりましたが、数年前には再販売を始められたようです。

途中まで読んだ感想

火水伝文は日月神示とワンセットで語られる事が多く、私も部分的には内容を把握しておりました。

しかし今回、初めからきちんと読んでみて、印象がかなり変わりました。

こちらの全文掲載サイト様で読ませて頂いております。

およそ3分の1ほどまで読み進めております。

現在までの感想は、陰謀論に通じる内容ですねコレ。

現代社会の常識が大衆を支配するためのデタラメである、という事や、真実に立ち返るためには三真釣り(二元に真中を立てた三元の意識づくり)が重要であると教えています。

続・日月神示と同様に、こちらもチャネリングメッセージで語られている内容と重複していますので、スラスラと読み解くことができます。

ですが、続・日月神示よりも人を選ぶ内容であると思いました。

素直に読めない人が多そうです

火水伝文の最初の方に、以下のような文章があります。

これよりはくどくど申す事、多くあるも、そは汝等皆々こ度を越すに少しでも易き様、量りて申す事なれば、ス直について参るが善いぞ。

きつき事も度々に申さねばならぬ由、怒らず、今今に許し置かれて下されよ。

読み進めてみて、この一文は本当に大切だなあと、しみじみ納得してしまいました。

火水伝文は、読み手の心にチクリと来る内容が多いんじゃないかなあ、と感じるのです。

この性質は日月神示も同様なのですが、こちらは理解不能な所も同じくらい多くありますので、心にチクリとくる人はそもそも読み進めない、早々に投げ出してしまうだろうな、という印象なんですね。

しかし火水伝文は読める。

日月神示よりもスラスラと読めます。

ましてや陰謀論がテレビで放映されるほど一般化している現代においては、恐らくかなり多くの人が読み進められるのではないかと思うのです。

それに加えて内容を理解するハードルも、日月神示や、続・日月神示よりも低いように思えます。

それゆえに、この内容がチクリチクリと身につまされる方も多くなるだろうな、と分かるのです。

また、日月神示よりも文章量が少ないので、現代人の「経綸シリーズ」入門には、火水伝文が適任のような気もしました。

三真釣りと三位一体

火水伝文では、続・日月神示以上に、二元について語っています。

この世の仕組みは本来「真釣り」であったそうです。

ですが、現代社会の常識と、学と欲を偏重する思想によって、「魔釣り」に挿げ替えられているそうなのです。

これを破るには二元に真中を立てた三元、すなわち「三真釣り」が必要であると教えています。

火水伝文にはこの三真釣りがかなりの頻度で登場するのですが、読み進めるにつれ、この世の様々な現象は三真釣りなんだなと分かってきます。

そして三真釣りというのは、キリスト教で言う三位一体であるな、と気付くのです。

三次元における全ての事象は二元性で成り立っているのですが、この二元を支えているのが真中であると分かってくるのです。

つまり三真釣りというのは天秤なんですよ。

真中あってこそ三次元が成り立つ

我々人間は、二元対極をごく自然に観測してしまいますが、真中の柱にはなかなか気付けないものです。

ですが真中の柱が無いと、二元対極は成り立ちません。

もし天秤に柱がなかったら、秤(はかり)として用を成しませんよね。

皿が二枚、落ちているだけになってしまいます。

二元と真中、三点あってこその三次元なんです。

わかりやすい例を挙げましょう。

政治の世界には、右翼と左翼がありますよね。

国粋主義の右翼と、共産主義の左翼。

近年では支配層からの政治工作により、右翼と左翼の争いが続いています。

ですが、この争いも真中の柱があってこそです。

右にも左にも極端に寄らず、真ん中らへんの主義を持った人が多いからこそ、右左の政治論争は、政治論争レベルで済んでいるのです。

もし日本国民の全員が右左のどちらかに寄ってしまい、真中に人がいなくなったら、それではもう内戦が始まってしまいます!

平和を維持しているのは真中の人達であり、左右どちらかに偏った人が増えてしまったら、秤がどちら側に傾こうとも、戦争で儲けたいという支配層の思惑通りとなるでしょう。

実際、外国では移民が引き金となった内乱が数多く発生しています。

ありのままか神人合一か

最後に、読者様方にもチクリとくる方がおられるであろう教えを抜粋させて頂きます。

人が神なるお仕組みは、元つ真釣りに依り立つが、唯一叶うるミチなれば、真先に身欲を控え捨て、外した真釣りを取り戻し、真釣るマコトに帰一するが事にてござるのぞ。

今までの世でありたなら、失敗致しありても次の世に賭けるが出来たなれど、こ度は後はないと、くどう申して居ろうがな。

こ度はどうありても、神のコトワリをハラの真中に据え立てて下さらねば、至るは叶わぬミロク代じゃ申す事、解かり取られて下されよ。

遂には『恐れず好きな事を成し行きても良い時節になりた』申す者出て来るぞ。

そは『総てを好きな様に成されても何のご心配も無きが証は、汝等ご自身が今の今でも完全な神であるからぞ』と申す事にてあるのぞ。

ちょっとでもご苦労を成された者なれば、何を馬鹿なと一笑に伏されも出来ようが、今世にありて、老いて居ろうが若くあろうが、マコトのご苦労を知らぬ者いうは、どんな時でも安楽な道しか歩めぬ者にござるから、ご都合の宜しき道なれば、後先解からずついて行くが見えるによりて、この方は心配致すのであるぞ。

それ由、今今にくどき思われる程に注意致し居るのぞ。

以上です。ありがとうございます。

この件に関しては以前にも記事を書いておりました。

ありのままで完全だと、自らの本心にて思われている方は、それで良いのです。

本当にそういう方もいらっしゃいます。

ですが、ありのままで完全だと言う傍ら、他者の努力を幻想だと指摘されているような方には注意が必要です。

これだけを心に留めておいて頂ければと思います。

私の場合、今ここに居る自分が、ありのままからかけ離れているような、そんな違和感を抱えているのです。

自分という存在にはもう少し先があるような気がしてなりませんので、神人合一によるアセンションを目指しています。

これもまた、私のあるがままなのです。

それでは今日はこの辺で。

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