他人に情報を伝達するときは説明をするものです

前回の記事を改めて読んでみると、なんだか自分が人間存在から抜けかかっているような、そういう危うさを感じたのですが、ですがこの状態を説明する論理的思考がおおよそ完成してしまっているんですね。私の頭の中で。

以前にも書きましたが思考と体験はワンセットです。

ですので、妙な体験をして正気でなくなっている訳ではなく、むしろ論理的思考による推測と、その確認というべき体験、その積み重ねが前回の記事に至っているのです。

唐突にテレパシーとか思いついたわけではなく、ここに至るまでに色々な試行錯誤があったわけなんですね。書いてないだけで。

以上前置きです。

そんなこんなで気付いてしまったのですが、よくスピリチュアル系の記事で

あなたの内なる神性が~

覚醒に至る聖なる門が~

神秘のベールに包まれた外宇宙の根源的存在が~

とかいうような

漠然とした暗示的な手法で詩的にほのめかす文章がありますよね。

ていうか、そういう文章って多いですよね。

たぶんそういう文章って、書いた当人が体験していない文章だと思います。

チャネリング的な文章か、あるいは他人のチャネリング文章をパクったか、海外の文章を翻訳したか。

そういうものだと思います。

私は実際に色々な人体実験をして、体験をして、正確に理解できないながらも推測したり、部分的に確信を得ながら文章を書いているんですが、そういう文章は

漠然とした暗示的な手法で詩的にほのめかす文章にはならない。

決してなりえない。

論理的説明と芸術的表現は違います。

思考と体験はワンセットでありますから、思考と体験が合致しているならば、得たものを「説明」するのにどうしてわざわざ「表現」しなければならないのでしょうか。

それはおかしいのです。

…ということに改めて気づきました。

以上、なんだか知れませんがグワーっと一気に書きました。

たぶん誰かのお役に立つ内容だと思いますので、お役に立てば幸いなのです。

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