幸福についてです

今日はとりとめのない記事をダラダラと。

幸せな未来を築くためには計画的な行動も必要ですが、それよりも先に、自身にとっての幸せとは如何なるものか明瞭に意識する必要があります。

意識できなければ終着点はないのです。

ノンデュアリティでは「今がすべて」といいますし、最近のスピリチュアル界隈でも「今この時に集中する」という話題が注目されています。

この考え方からすると、人間は今この瞬間こそがすべてで、今の状況こそが幸せで満ち足りていなければならない、という理屈が生まれそうです。

しかし私はそう考えず、自分自身の未来を創造することを良しとします。

人間の本質はエネルギー、過去にも未来にも自由に移動できる霊的存在であります。

しかし人間は霊のみにあらず。

霊と肉体が融合した三次元存在であり、人間が顕現できるのは「今この瞬間」のみです。

ゆえに人間が能力を最大限に発揮できるのは今この瞬間に集中しているときです。

過去にとらわれず、未来にとらわれず、今に意識をフォーカスすることが霊と肉の合一に最良の方法と考えます。

(逆に、過去に意識をフォーカスすると、霊は本当に過去に行っているそうです)

ですが過去や未来を完全に手放すことは難しい。

完全に手放した状態とは、いわゆる「覚醒体験」「一瞥体験」であり、その状態にある人は社会生活を送るにも困難をともなうと言います。

つまり、現代社会に生きる以上、全てを手放すのは難しい。

まだ時代が追い付いていないのです。

だから過去や未来を完全に手放さなくてもよいと考えます。

カルマ浄化がだいぶ進んだであろう私自身、過去にとらわれない事と、過去が存在しないという事は、全くの別であると実感します。

私自身の過去を思い出してみると、どうも年を重ねるごとに悪いこと苦しいことばかりが起こっているように思えます。

そういう苦行のような現実を乗り越えた経験が、自信の源となっているのは確かです。

しかし過去を重要視する、エネルギーの源とするとですね、その過去が現実を創る土台となってしまうんです。

私の場合は苦行のループです。あくなき自己鍛錬、筋トレ地獄です。

過去の延長上に現在があるのは当然で、完全に切り離すことはできません。

だからといって過去にとらわれると、現在が過去の再現になってしまうのです。

すみません、ちょっとうまく説明できません。

人生は選択の連続です。

過去を重要視しすぎた選択を積み重ねると、どのような環境にいようとも、あなたを取り巻く現実は過去と同質になってしまいます。

ですから、人生をすこしでも良くしたいと思うのならば、まず過去と決別する必要があります。

そして自分にとっての幸福を明瞭に意識し、そういう選択をするのです。

その選択の積み重ねが幸せな未来を築き上げていきます。

自分の内側が変われば世界も変わる、願望を実現するには既に願望が実現されたような気分であれ、などの法則は、つまりそういうことなのです。

ああ、また何か書かされました。

最近は自分自身の意識と、上の方(ハイヤーセルフ?)からのインスピレーションとの違いがわかるようになってきました。

未来を完全に手放して神の手にゆだねてしまうのが、本当はベストなのでしょうが、それをすぐにやってしまうのは難しいし、社会的にも危険です。

また、あまり身の丈に合わないほどの幸福を実現するのも難しいでしょう。

とにかく少しずつ変えていくのが良いと思います。

いっぺんに変えてしまえる人は、それは元々そういう人なのです。

そういうふうに人生の青写真が決まっている人なのです。

誰もが同じではありません。

魂の性質は似たり寄ったりですが、人生をとおして表現される自己は人それぞれです。

私のようにいっぺんには変えられない人の方が多いと思いますし、変化の速度もまちまちでしょう。

しかし魂の仕組みを理解して、少しずつでも実践していけば、誰でも変えていけるはずです。

肉体と時間の制限がある以上、忍耐が要されます。

忍耐は日本人の美徳です。

あと最近なんとなく分かってきたのですが、自分が思う幸福の「形」にこだわるより「本質」を見極めるほうが重要ですね。

手段と目的の関係に似ているのですが・・・

私をふくめ多くの人は手段にこだわりすぎて目的を見失っているように思えます。

それは資本主義の仕組みがめくらましになっているというか、取り違えさせるというか・・・

これもちょっと説明しづらいです、申し訳ありません。

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