ここ数カ月の変化の結論④

先月から「ここ数ヶ月の変化の結論」という続き物の記事を書いていますが、忙しさゆえに記事を書く間隔が長引いてしまっています。

すると「変化の結論」をまとめる側から、新たな変化が起こってしまう訳で・・・

この調子でのんびりしていると延々とまとめ記事を書くことになりそうなので、ちょっと雑になってでも早急に記事をまとめねばと思っております。

今回は、一連の「変化の結論」記事で使っている

これは普遍的な結論ではありません

という注意書きに関して書きます。

この注意書きには「この記事の内容は、誰に対しても該当するものではありませんよ」という補足の意味があります。

こんな注意勧告をするのには意図があります。

この注意勧告はズバリ、スピリチュアル界隈に足りないものです。

私が最近の変化を通して実感しているのは「みんな違う」ということ。

スピリチュアルでは、すべては一つ、われわれは既に完成している、というフレーズをよく見聞きます。

そのフレーズは正しいと思います。

しかしそれは、私の知識から考察しますに、人間存在がそのフレーズ通りであるとみます。

我々は人間でありますが、厳密には肉体と霊体の結合した存在、そして霊体もいくつかの異なるエネルギー層が重なっているものです。

さらに補足すると肉体も周波数帯が低いだけで実質エネルギー層であります。ですので、人間とはつまり幾層ものエネルギーが重なって顕現している複合存在なわけです。

つまり人間の霊的構造は一般常識よりもはるかに複雑なのです。

すべては一つ、われわれは既に完成している、といったフレーズは、この複雑な構造をもった「人間」システムの本質を指しています。

ですから、このフレーズは正しいのです。

ですが、個々の人間を指してこのフレーズを適用してよいかというと、そうもいえません。

なぜならば、このフレーズからは超重要な要素が抜け落ちているからです。

それは「カルマ」と「個性」です。

まずカルマについて。

カルマとは、原因と結果、因果応報、というような概念のものです。

「前世のカルマ」とかよく聞くフレーズですが、それだけではなく現世のカルマもありますし、過去のトラウマとか、経験とか、実績とか、インナーチャイルドとか、そういったものも実質的にはカルマと同義です。

簡単にまとめると、カルマとは過去に由来するエネルギーです。

最近のスピリチュアル情報では「今この瞬間に集中する」というテーマが重要視されています。

このテーマを実践するために避けて通れないのが「カルマの解消」です。

ですが「今この瞬間に集中する」と「カルマの解消」を合わせて解説しているスピリチュアル情報はほとんどありません。

これはひとえにノンデュアリティー系の覚醒体験、一瞥体験といった奇跡的な体験をした方々の知識不足が原因でしょう。

いわゆる「山の頂上からの景色」だけを伝えている状態ですね。

頂上からの景色はモチベーション向上にはつながりますが、登山の役に立つ情報ではありません。

頂上を見た上で登山に役立つ情報を提供してくださる方はごく少数のようです。

そしてもう一つの個性について。

これがとても大きい要素です。上記のカルマを考慮したうえで、私はこの個性がとても重要で、なおかつスピリチュアル界隈の注目度が低いと感じています。

この個性とはつまり、とてもシンプルに、我々は個体ごとにエネルギーの質が違うということです。

本ブログでは何度も解説しておりますが、人間の魂は神の末端であると考えられています。

我々は神に繋がった存在で、我々の内側には全知全能の神がいるわけです。

で、神が調べ物をするために、神の中心から離れたところへ根を張り巡らすというか、手を伸ばすというか、そういうものをイメージしていただけると解りやすいのですが、そういう調査のための末端にある存在が人間なのです。

調査のために「体験」をするのが人間の役割なのです。

そしてあらゆる側面から体験を行うために、個々の人間はエネルギーの質が違うようです。

これが個性です。

カルマを解消していけばだんだん分かってくるのですが、我々が普段認識しているような個性は、ほとんどがカルマです。

カルマ、つまり過去に由来するエネルギーによる反応、一般的にはこれを個性と呼んでいます。

人間の表層に現れる反応のほとんどは、過去の経験により構築されたフィルターを通したうえでのものです。

カルマの解消とは、このフィルターを一枚一枚なくしていく行為です。

以前からのブログ読者様はご存知頂けていると思いますが、私はオカルト・スピリチュアルの傾倒者でありますから、長期にわたってカルマの解消を積極的に行っておりました。

その成果として見えてきたのが、この個性という要素。

カルマというフィルターを外して見えて来た、自分自身本来の個性というものは、どうやら思いの外に大きな要素であるなと感じています。

私自身を長々と語るのもアレなので簡単に言いますと、個性というものは、世間一般でいうところの表層的な反応「だけ」ではないな、と。

生き方、存在のあり方、個体の状態。

そしてそういうものに由来する風格、たたずまい。

こういう要素も個性であると分かってきました。

今の社会ではこれらの要素を個性の枠に入れるのは大げさというか、少々規格外な感じがします。

が、それは個を殺して全体への貢献を強制する現代社会であるからそう感じるのです。

これから個の自由を容認する社会になってゆけば、存在のあり方そのものが個性であると、はっきり現れてくると思います。

個々の人間エネルギーの流れを妨げない社会が誕生すれば、エネルギーが円滑に循環するようになり、人間はそれぞれ個人特有の役割を果たすようになるでしょう。

これぞ、個人の存在そのものが個性である、といえる社会です。

個性に関しては色々と書きたいのですが、そこまでまとめているとキリがないので、今回は以下のブログ様の記事を紹介させてください。

私の感じるところによる「一般的な個性」の限界というものは、このようなものです。カルマ解消がすすむにつれて、このような人格の矛盾はなくなっていきます。

個人的に好きなエピソードは、中島らも氏か町田康氏かリリー・フランキー氏が体験した話で、定食屋かソバ屋の…

ここまで厳密に考えたうえで改めて、すべては一つ、われわれは既に完成している、というフレーズに立ち返ってみます。

これを人類全員に適合できるかというと時期尚早と言わざるをえません。

今は過渡期ですので、適合できる人とできない人がいます。

少なくとも私自身には適合しません。少し早いと感じますね・・・

ですので私の発信する情報も、まとめ記事ですので、さも人間存在を見極めたかのような文章を書いておりますが、そこは個人の体験に根ざしたまとめ記事ですよと、ちょっと慎重になっているんです。

そこで、これは普遍的な結論ではありません、という注意書きを追加しているんですね。

今日は以上です。


以下、連載記事です。
よろしければ続けてご覧ください (^_^)

ここ数カ月の変化の結論①
ここ数カ月の変化の結論②
ここ数カ月の変化の結論③
ここ数カ月の変化の結論④
ここ数カ月の変化の結論⑤
ここ数カ月の変化の結論⑥

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