絶対に許さないよ

今日は色々なことがありました。本当に深い悟りを得ました。

頭痛が凄いです。

私は頭痛とか滅多にない体質なのですが、ここ数日は頭痛がしております。

特別なことが起こっているのだと思います。

今日の悟りは価値のある情報です。

それは「赦し(ゆるし)」です。

スピリチュアル情報では「無条件の赦し」を重要事項としております。

無条件の赦しと聞いて皆さんは何を想像するでしょうか?

私は過去に向精神薬を飲んでいた経験があるのですが、その時のような状態を想像していました。

幸福感に包まれて何の不安もない半覚醒状態ですね。

あのような生き仏のごとき状態ならば、あらゆるものを赦し受け入れる事が可能なのだろう。そう考えていました。

しかし今日、私は悟りました。

幸福感に包まれた半覚醒状態の赦しは違います。

全然違います。

アレは現実認識能力が低下しているために判断できていないだけです。

全然違うのです。

我々は、今現在の我々の延長線上で、平常心を持って、きちんと納得して赦すことが出来るのです。

無条件の赦しなど遥か地平の彼方です。

我々はアセンションしていないのです。我々は人間です。

我々は我々自身の考えの及ぶ範囲内で赦していくのです。

いや「赦し」なんて御大層な漢字を使ってはいけませんね。

「許し」です。これで十分です。

我々は子供の頃から知っている素朴な「許し」を実践して進化するのです。

よろしいでしょうか。

許せない奴がいる。

許せない事がある。

(ポリスメーン)

スピリチュアルではこれを許せといいます。

無条件の許しが覚醒であると。

そう言われて許せますか?

許しが覚醒であると言われて、

「そうか!それが必要なのか!」と感じて

他人の言葉で、理屈で、納得して、

果たして許せるか?

無理です。

それは許した自分になりきっているだけです。

私は今日、悟りました。

そもそも許すプロセスは人それぞれであると。

自分はなぜ許せないのか?

それを深く考えなければ、許しなど訪れないと。

とにかく「許さない自分」を認めなくてはいけないのです。

今日の出来事をお話します。

私は現在、なんでもかんでも否定的に意見する人とチームを組んで仕事をしています。

私はこの人を許せませんでした。

この人は私より年齢が上で、でも実力はどうも私より下のようでした。

しかし口は達者・・・というか、後先考えず都合のいいことばかり言う感じなのです。

つまり浅はかなのです。

この人は私より上の立場ですので、渋々と相手の言動を尊重して今日までやってきました。

しかしこの人を尊重して仕事をすると、やはり結果が伴わない。

そして今朝、私は悟りました。

「許すのをやめよう」と。

残念だがこの人間は程度が低い。

驚くほど程度が低い。

いい加減にこの事実をはっきりと認めよう。

この相手を許すということは無責任なことだ。

相手のいい加減さに目をつぶるのをやめよう。

相手の滅茶苦茶な論理に対し、自分の考えを曲げるのをやめよう。

相手を攻撃するのではなく、相手の間違いを許すのをやめよう。

淡々と間違いを正そう。

このような悟りを得ると、途端に実践の場がやってくるものです。

ちょっとした会話から、いつもの如く相手が珍妙な論理を展開し始めたので、私はそれを淡々と正していきました。

結果、さらに上の立場の人から仲裁が入りました。

しかしこれ以後、相手は私の言動を尊重する姿勢を見せるようになったのです。

驚きました。

なんだこれは!やっつけなければ分からないのか?学生かこいつは!

とても社会人とは思えません、まして論理的思考を基本とするIT業界でこれはちょっと無いです。

しかし現実。これが現実・・・

ここで私は、この人が私に関わっている意味をスピリチュアル的に考えてみました。

思いついたのは私の過去。

私が経験ゼロの新人だった頃、所属会社の営業方針から、経歴詐称しての多重派遣で開発現場に潜入させられた事が度々ありました。

恐らくこれです。このカルマの解消です。

問題の人も、恐らくは経歴詐称しています。

年齢につりあわない技術力の低さ。言動の矛盾。

あらゆる面から判断して経歴詐称が一番納得がいくのです。

これに気付いた瞬間、私の中に初めて相手を「許す」気持ちが発生しました。

それどころかカルマ解消の機会を与えてくれた相手に、自然と「感謝」の念すら浮かんできたのです。

今日の出来事は以上です。

本当に貴重な体験でした。

お話した一連のプロセスは万人にあてはまるものではありません。

私は基本的に、意見の対立を避け、多少の矛盾は大目にみるタイプです。

私と同タイプの方にとって「許さない」という選択はなかなか難しい事でしょう。

しかし、例えば正反対のタイプ。

意見の対立にエキサイトし、ささいな矛盾でも白黒つけるタイプの方。

こういうタイプの方は「許さない」という選択などごく日常的なものでしょう。

むしろ小さな許しを積み重ねる、というようなプロセスに悟りを得るのではないでしょうか。

このように「許し」とは一概に言えるものではないのです。

万人に適用できる普遍的な「許し」のプロセスなど無い、と言ってもいいのではないでしょうか。

これを踏まえて「無条件の許し」という言葉を考えてみますに、これはもう具体的な意味など持たないぼんやりとした概念である、と言い切ってもよいでしょう。

日常生活で許しを実践することの何と難しいことか!

私は今日、許すということは本当にハードルの高いことと分かりました。

「愛と許し」を語る前に、我々はもっと自分自身の事を考えねばなりません。

自分が「許さない」理由に目を向けねばなりません。

大体の人は、自分が「許さない」理由を分かっています。

しかし「許さない」理由を深く考えることは、あまりしません。

なぜ「許さない」のか。

これを追求してみましょう。

未熟な人間にとって許しに必要なのは、愛よりもまず忍耐です。

初めっからあまりデカイことを言ってはいけません。

まず自分に向き合うための忍耐が必要です。

スピリチュアルのいう「赦し」は最終形態です。

未熟者は未熟者なりに這いつくばって進んでゆくしかありません。

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